
弥勒菩薩(みろくぼさつ)はお釈迦様が亡くなったのち、56億7千万年後に兜率天(とそつてん)から人間界に来られ、
修業の後、仏になり、私たちのために3回の説法を行われると考えられています。
平安時代には、「弥勒詣で」と言われる多くの参詣者が訪れたようです。

笠置山の巨石は、はるか弥生時代から信仰されていました。
収蔵庫に収められている有樋式石剣(ゆうひしきせっけん)は、弥勒磨崖仏の前より出土したもので、
巨石が狩猟や農作の豊穣を祈る、信仰の対象となっていたことがうかがえます

弥勒磨崖仏の創建には、天智天皇の皇子(大友皇子か?)が笠置山に狩猟にこられ災難に遭い、弥勒仏の彫刻を発願されたと言われています。
『笠置寺絵縁起』より

物語では、「天人によって一夜にして刻まれた」とされていますが、大陸より南山城地方に移住された高麗系の狛氏族の技術がかかわっていたと考えられます。
『笠置寺絵縁起』より

元弘の戦乱で全山消失し、この炎によって弥勒磨崖仏も剥落したと言われる。
『笠置寺絵縁起』より

弥勒磨崖仏の周囲には、弥勒菩薩とご縁を結ぼうとして、多くの人々が、写経等を筒に収め、地中に埋めました。
これは経筒(きょうづつ)と呼ばれ、素焼きの壷の中に入れて収められていました。
写真のものは当山出土のもので、ふたは固着していて開けることはできません。
当山の収蔵庫には、経筒や埋蔵品が展示されています。