当山の歴史を語る上で、磨崖仏や後醍醐天皇の影に隠れているようになっていますが、重要な位置を占めているのが千手窟です。
古来からの巨石信仰(イワクラ信仰)や洞穴の持つ神秘性により、千手窟も弥勒菩薩の世界−兜率天(とそつてん)−への入り口とされたようです。、
修験道の役行者(えんのぎょうじゃ)も訪れ、また東大寺 実忠和尚は、千手窟より兜率天に入り、十一面観音悔過(けか)の法要を学ばれ、
これが今日でも大和に春の訪れを告げると言う、東大寺「お水取り」の起源であるとされています。

中央に弥勒磨崖仏を配し、左から正月堂(現存せず)・十三重塔(現在は石塔)、磨崖仏の前には礼堂(現在の正月堂)を描く。
↑の部分に千手窟に入ろうとする僧侶が描かれています。
『笠置寺絵縁起』より

大仏殿建立の用材は、三重県伊賀地方より木津川の水運を利用し運搬された。
東大寺 良弁(ろうべん)僧正は、運搬の無事を祈願し、千手窟にて秘法を勤められた。
『笠置寺絵縁起』より

実忠和尚が、人間の罪を悔い改める十一面観音悔過法要を勤めたいと願われた時、生身の観音が降臨された。
実忠和尚のおられる画面中央のお堂が、元来の正月堂であると思われます。
『笠置寺絵縁起』より
良弁僧正が行われた「雨乞い」の行法と、実忠和尚が行われた「悔過」の行法が、現在まで「お水取り」として受け継がれています。